世界各国を旅し、そのときどきで夢を実現するために時を重ねてきたピアニストの清塚信也さんに、ターニングポイントとなった旅と、自分で未来を切り開いていく力について聞きました。
Profile
1982年、東京都生まれ。桐朋女子高等学校音楽科(共学)を首席で卒業後、モスクワ音楽院に留学。国内外のコンクールで数々の賞を受賞。俳優業、執筆など多方面で活躍。




18歳でモスクワに留学されていますが、そこで学んだことはなんですか?
人生で初めてアイデンティティについて考え始めたことですね。5歳からやっていた音楽も、自分が本当にやりたくてやっているのかを意識したことすらなかった。母や先生に期待されて、やらなきゃいけないものだったんです。モスクワで初めての一人暮らしをして、そこで自分の意思で音楽家として生きていきたいと思えたことは、非常に重要でした。
留学中の思い出を聞かせてください。
当時は街中にタクシーがほとんどいなかったので、ヒッチハイクをして値段交渉したり、言葉もままならないまま住みやすい環境を見つけるために奮闘したり。日本の恵まれた環境で暮らしていたので、親切や正直さだけではなく、自分が強くないと生きていけないんだと学びました。それと、モスクワ音楽院に通っていたので、首席で卒業したラフマニノフなど名だたる音楽家の名前が石に彫ってあるのを見たときは、ジーンとくるものがありました。
当時好きで通っていた場所はありますか?
マリインスキー劇場という有名なシアターがあって、学生だとすごく手頃な値段で観ることができるので、よくバレエやオペラを観に行きました。舞台の正面の2階には、未だに権威の象徴として「エリツィン席」と呼ばれる誰も座らない空席があるんです。そういう文化や国民性の違いも興味深かったですね。





卒業を待たずに帰国した理由とは?
20歳のとき、人の作った曲を演奏するクラシックだけじゃなく、オリジナルも披露したいという思いに駆られたんです。そう決めたことで、世界がガラッと変わった。子どもの頃からクラシックが決められた道で、そこから外れることは自分としては価値がないと信じていました。でも、もうその世界にひれ伏さなくてもいいんだなと。卒業してからでは遅いと感じて帰国したので、傍から見れば、不安要素しかなかったと思いますが、僕自身はやっと自分の人生が始まったんだという気持ちでした。それで、制作会社や芸能プロダクションに自分で営業して。ただ、それはクラシック界では一般的ではない行為なんですよ。
それはなぜなのでしょうか?
商業的なものは邪道とみなされてしまう。僕はオリジナルをやっていく自分をセールスしなければいけなかったので、古いしきたりを振り切って当たって砕けろと動き始めました。最初はなかなかうまくいかず、そこから3~4年は門前払いされつづけて心底辛かったですね。前例がなかったこともあって、営業先もリスクを怖がっていたのだと思います。心のダメージが一番大きかったのは、その頃でしたね。
その辛い時期はどう乗り越えたんですか?
子どもの頃から今まで頑張ってきた、という自負以外何もありませんでした。ただ、自分を信じるためのコツがあるんです。自分なりに状況を分析して、理屈立てをすること。闇雲に悩むだけでは人間の心なんて簡単に壊れてしまうからこそ、苦しいときでもちゃんと考えるようにはしていました。理屈が通れば、一応前に進めるじゃないですか。4年が過ぎたあたりから軌道には乗ってきましたけど、本当にやりたいことを自由にできるようになってきたのは、ここ数年ですね。



ここ最近のターニングポイントになった旅について教えていただけますか?
2018年に『アナザースカイ』という番組で行った、ポーランドかな。留学中にもコンクールで何回か訪れていたワルシャワは、ショパン国際ピアノコンクールがあるので、自分の中で越えなきゃいけない壁というか、すごく厳しい場所として記憶されていて。行く度に、人生の勝敗を決められてしまうような空気感を街中に感じていましたし、正直いい思い出が全然なかった。でも、番組の撮影で再訪したときには、ガラッと印象が変わったんです。旧市街ってこんなに可愛いかったんだみたいなことにも気づくことができた。
気づかぬうちに壁を乗り越えていたということだったんでしょうか。
そうですね。コンプレックスがあった当時の気持ちは蘇ったんですが、あの時代は頑張ったなといういい思い出になっていました。結局、コンクールではいい結果が得られませんでしたが、その傷をダメージのまま残すかプラスに変えられるかどうかは、賞の有無ではなくて、その後の生き方によって変わるんだなと感じました。自分次第なんだなと。
今夢を追っている若者へアドバイスをするとすれば、どんな言葉をかけますか?
若い頃を今振り返ってみると、もがいた分重宝されましたよね。がむしゃらに努力して育つことがトレンドではない現代だからこそ、苦労がチャンスにもなるのかなと。ダイヤだって、石ころみたいに落ちていたら今のような価値はないわけで、人材にしてもその人にしかできない何かをもつ人のほうが強い。他と差をつけたいのであれば、若いときに買ってでも苦労はしたほうが、人生の後半それが生きてくる。苦労して人の痛みがわかる人のほうが、話が通じる人間として社会からも重宝されると思います。





時代の一歩先へ進むために、普段努力されていることはありますか?
人と被らないようにすること。人生って、選択の連続じゃないですか。選択肢を前にまず考えるのは、これまで誰かがこれをやっていないか。それと、人から求められているかどうか。この二つは相反しているように見えますよね。でもたとえば、音楽の変化の歴史を振り返っても、チェロはメロディを演奏するのが今は当たり前だけれど、ベートーヴェン頃まではベース音を支えるだけの楽器だったんです。こういう物理学にも似た発見というか、なんで今までなかったんだろうというくらい必然的なのに誰もやっていなかったこと、これが本物の新しさかなと。寿司を握りながらピアノを弾くとか(笑)、ただ奇抜なことをやるのではなく、保守的な基礎のメソッドを踏んだうえで、誰もやっていない新しい選択をすることは常に意識しています。
各地を飛び回る清塚さんが、旅先で時計に求めるものとは?
正確な日本時間を教えてくれることですね。ビジネス上も重要ですけど、それ以上に僕は日本にいるときのルーティンを大事にしているんです。1日のタイムスケジュールは、どんな気分でどれくらいの体力のときにするかが重要なので。海外に行ったからといって、そんなにすぐに現地の時間には切り変えられないので、日本時間の感覚を大事にしています。時計は、時間だけじゃなく、体調、センスや心の構え方までしっかりキープしてくれますよね。
最後に、「セイコー アストロン」の印象を聞かせていただけますか?
時計部分のエレガントな曲線は、見た目だけでなく、弾いているときに邪魔をしないので、ピアニストとしては非常に助かるんです。メインとサブの文字盤がスイッチできて、正確なタイムゾーン情報を簡単に取得できるのもカッコいい。見た目はクラシックなのに機能はデジタルなんですね。古典でありつつ新しい機能がある。まさにこれが本物の新しさなんだと思います。




セイコー アストロン
グローバルライン
SBXC049
1969年に誕生した世界初のクオーツ腕時計「クオーツ アストロン」から名前、ブランド理念を受け継ぎ、2012年にデビューしたセイコー アストロン。世界初のGPSソーラーを搭載し、世界中で正確な時を刻む。
¥210,000(+tax)