【佐藤健寿】人はどのように「未来を想像する力」を獲得したか 

PROLOGUE
写真集『奇界遺産』シリーズなどで「人類がつくりあげた奇妙な世界」を切り取り発信する写真家・佐藤健寿は、どのように自身の世界を広げてきたのか。
コロナ禍によって人々の移動が制限される今、世界をその目で見ることの価値とは―。
時間の精度を追求し、新しいスタンダードに挑戦し続けるセイコーアストロンが、次の時代をつくる”スケールチェンジャー”の視座を紹介するインタビューシリーズ、新章始動。

- INTERVIEW -

写真家 
佐藤健寿

武蔵野美術大学卒。フォトグラファー。世界各地の”奇妙なもの”を対象に、博物月的・美学的視点から撮影・執筆に取り組む。写真集『奇界遺産』『奇界遺産2』(エクスナレッジ)は異例のベストセラーに。 『世界の廃墟』(飛鳥新社)、『空飛ぶ円盤が墜落した街へ』(河出書房新社)、人工衛星写真集『SATELLITE』(朝日新聞出版)などの著作のほか、テレビやラジオへの出演も多数。

奇妙な浮遊感が、社会全体を包んでいる
── 2020年に入り、新型コロナウイルスによる災禍が世界を襲っています。佐藤さんは今の状況をどう捉えていますか。

 今年は2月にサウジアラビアに行ったきり、どこにも行っていません。この20年くらいの間で、3カ月以上海外に出ていないのは初めてです。
 もっとも、日本にいる間は自宅と仕事場くらいしか行き来しないので、それほど変化はなく、むしろ「普段できないことに取り組もう」くらいに前向きだったんです。でも、これだけ状況が長引くにつれ、初めて「どこか行きたいな」と思うようになりました。
 もともと僕が移動するのは撮影が目的であって、旅が目的ではないと思っていたんですが、割と当たり前に「旅」も好きだったんだな、と。この状況になって初めて気づかされました(笑)。
 一方で、社会を見ると不思議な雰囲気ですよね。とても切迫した状況にあるのに、ウイルスそのものは目に見えない。日本は被害状況が相対的に低いこともあり、世界の中でも妙に浮いている。
 中心のない災害ゆえに、社会全体が「浮遊感」に包まれているような感覚があります。

── リアリティがあるのかないのか、わからない感じは確かにありますね。

「静かに」、でも「爆発的に」。相反する状況が同時に目の前で起こっている。そういう奇妙な状況のなかで、従来型社会の構造的な問題がどんどんあぶり出されて、少しずついろんなものが崩壊しています。

── 現在のパンデミックが収束し、アフター・コロナ、あるいはウィズ・コロナの時代が訪れたとき、人はどう世界を行き来すると思いますか?

 僕も渡航した際に取得しましたが、たとえばアフリカでは、黄熱病のためのイエローカード(予防接種証明書)が使われています。実際のところ現地でのチェックは緩いものでしたが、より厳格な現代版が、世界中に普及していくのではないでしょうか。
 これまでは過去の滞在国履歴も自己申告が中心でしたが、外国へ渡るときには、パスポートやスマホなどに病歴を記録して提示するというふうに、デジタルでより厳しく管理されるようになると思います。
 便利ではある反面、「ある国にいたから入国禁止」みたいに機械的にフィルタリングされて、差別を生む懸念もありますね。個別の理由は考慮されず、一部の人たちにとっては、国境を越えることが不自由になってしまうかもしれない。

ロシアという国ができる前から、トナカイを放牧して極寒の極北地方で暮らす少数民族・ネネツ族。「どうしてそこに住み始めたかは現地の人たちもよくわかっていないが、おそらく戦争が嫌で北に逃げてきたと言われる。北極圏では陽の回り方が違っていて、彼らと過ごすと目に見えるものだけにとどまらず、時間の流れが変わる感覚を得ました」(佐藤氏)
写真提供:佐藤健寿

── 佐藤さんの写真家としての仕事は変わりそうですか?

 今もっとも禁止されている「移動」そのものが仕事みたいなところがあるので、大打撃ですよ(笑)。
「撮影」という部分では、たとえばリモート手術のような画面越しの撮影や、AR技術を使って撮影者と被写体側で現場を共有しながらデバイスを同期させて撮影するような方法は、技術的にはすぐに出てきます。
 だから「写真」というメディア自体は当面残るにせよ、従来的な意味での「写真家」という仕事は、今後なくなっていくと思います。今回のコロナ禍がそういう変化を、特に技術的な面で後押しする可能性は大いにありうるでしょう。
 ただ、旅することもなくなるかというと、そこまで悲観していないんですよね。
「旅」が合理的な目的に基づく行為なら、今回のコロナで何かに代替されてしまう可能性がありますが、そもそも旅は「不合理な状態」そのものを目的にしているようなところがある。
 その価値は、何かによって簡単に代替されるものではないと思います。

情報が氾濫する時代、複製不可能な「体験」の価値

── 佐藤さんはどんな動機があって世界各地を訪れるようになったんですか。

 そもそものきっかけは、インターネットです。僕がネットにのめり込んでいった時期はインターネットが普及した時期とほぼ重なるのですが、海外でリアルタイムに起こっているニュースや事象を、ダイレクトに知ることができるのは衝撃でした。
 当初は本当にネットが楽しくて、大学を2週間くらい休んで毎日Macにへばりつくくらいハマりましたね。

 その後、自分でもブログサイトを始めてみたんですが、やっているうちに「これだけタダで誰でも情報を入手できるということは、情報自体にはすぐ価値がなくなるし、あとは量の勝負になるだろう」と感じるようになりました。
 だから、複製不可能な「体験」を求め、海外に出たんです。情報に価値がなくなる一方、情報をもとに自ら動いて得るものこそが、これから価値を持つ。そう思って、2004年くらいにサイトはすっぱりやめました。

── そうして、佐藤さんが言う「奇界=人類の作り上げた奇妙な世界」を撮影し始めた。

 そうですね。直接のきっかけは、米・カリフォルニア州の大学に留学していた時に出た、「別の州で何かを撮影してきなさい」という課題でした。
 何を撮ろうかと考えて、子供の頃に見たテレビで、エリア51というUFOやエイリアンの研究をしている謎の施設みたいな番組を散々やっていたのを思い出したんです。

ラスベガスから北西160kmほどの地点にある広大な機密軍事施設。1980年代にこの施設で働いていたという人物がUFOと異星人の研究を行っていると暴露し、世界的に有名なオカルトスポットとなった。佐藤氏は2003年にこの地を訪れ、以来、北米、南米、アジア……と撮影エリアを広げてきた。
写真提供:佐藤健寿

 ネバダのその辺りには、ヴィム・ヴェンダースの映画に出てくるような西部開拓時代のゴーストタウンや廃墟も多い。何か変わった絵が撮れるんじゃないかという軽い気持ちでスタートしました。それが予想以上に面白くて、現在に至るライフワークになっています。
「どうしてこういうことをやってるのか」とよく聞かれますが、結局のところ、動機は「ただそこに行ってみたい」ということに尽きます。それは合理性やコストで測れるものではないから、これだけ長く続けられているんだと思います。

「奇妙」を見ると、いろいろな「普通」に気づく

── その個人的な体験が「複製不可能なもの」なんですね。そうやって世界に出ることで、変わったことはありますか。

 世界を見るときの解像度は、否応なく変わります。たとえば最近、日本のニュースで「中国が……」という言葉がよく使われますよね。あの広大な中国を一括りにしているわけですが、実際の中国はものすごく広く、多様なんです。
 僕は上海のような大都市だけでなく、貴州省の山奥や、内モンゴル、ウイグル、チベットにも行きました。数多の少数民族にも、都市部の漢民族にも会っている。それぞれに文化も生活様式も、そこで暮らす人たちの時間の流れさえもがまったく違います。
 そういうディテールを無視して何かを語ることに、良かれ悪かれ違和感は出てきます。

── 解像度が上がることで、それぞれの差異が見えてくる。
 
ええ。それに、「文化」や「国」の曖昧さについてもよく考えるようになりました。
 いろいろな国の少数民族を撮影しに行くと、国境をまたいで生活している人たちがたくさんいることに気づきます。同じ文化、言語の民族が国境をまたいで存在していて、国境は便宜的なものにしかなっていない。
 私たちはとかく「国境=文化の境界」と判断しがちですが、実際には文化や民族の血は簡単に国境を越えていく。
 それはGAFAみたいな企業が言語と貨幣を抽象化することで、国家をまたいで多国籍化しているのとどこか重なって見えます。
 そういう世界の現実を見ると、「国家」という単位で物事を語ることにどこまで意味があるのか、とも考えるようになりました。

近代住居を拒否して、より“暮らしやすい”洞窟に暮らし続ける苗族の村。高層ビルが林立する上海のような経済都市がある一方で、時の流れが止まったかのような暮らしもある。「合理性は土地によって逆転する。自然に適応して地形を生かすならば、コンクリートよりもすぐに建て直せるワラや木の家の方が強いと考えることもできる」(佐藤氏)
写真提供:佐藤健寿

 たとえば、パプア・ニューギニアに行って奇妙な仮面を見る。それだけだと、日本の文化とは断絶した、恐ろしくエキゾチックなものに見えるんですね。
 でも、鹿児島のトカラ列島や、沖縄の離島部なんかに行くと、パプア・ニューギニアのものとよく似た仮面の神様がいたりします。
 世界をくまなく歩いていると、そういう「中間的なもの」に気づくことが多々ある。
 極点同士の比較だと気づかないことでも、中間を知ることで、類似性やつながりが見える。線で区切られた国境ではなく、グラデーションでつながる文化的な地図が見えてきます。
 そうなると、世の中の「アメリカ」「中国」「日本」といった言葉の使い方にも違和感が生まれる。テレビやインターネットから流れてくるニュースひとつ、情報ひとつ取っても、見え方が変わってきます。

── 様々な国や地域を見てきたことで、世界情勢を深く理解できるようになりましたか。

 いえ。むしろ、いろいろ見れば見るほど、わからなくなってきたように思います(笑)。
 よく、旅ばかりしていると人生観や死生観がものすごく変わるんじゃないかと聞かれるのですが、いろいろな「奇妙」を見るということは、いろいろな「普通」があると気づくだけのことです。

漫画家の諸星大二郎氏と訪れたパプアニューギニアのマッドメン。部族間闘争で敵に追われて逃げるうち、一人が転んで泥まみれになった。その姿を相手が「精霊が現れた」と怖れたことで、彼らは体を白く塗りたくり、泥の仮面を被るようになったという。現在、彼らは観光客を相手に儀式を披露し、携帯電話を使っている。
写真提供:佐藤健寿

 アフリカのマダガスカル島には、死者を墓から掘り起こし、みんなで担ぎ上げ、もう一度墓に戻すという行事があります。
 行く前はどんな壮絶な儀式なんだろうと思っていたんですが、現地で実際にそれを見て感じたのは、表現こそ違うものの根底にある考えは「日本のお盆」と同じだということ。
 情報だけを受け取ると異質で奇妙だと感じても、様々な土地を訪れるうちに、どこかが特別なのではなく、すべてが相対化されてフラットに見えてくるように思います。
 自分自身に変化があるとすれば、極端なものの見方や意見に対して免疫がついたり、偏見がなくなったりすることでしょうか。

目の前にあるものが、すべてではない

── 佐藤さんが訪れた先の景色を写真に残すことで、伝えたいことはありますか。

 結局は自分の好きなことをしているだけなので、強いメッセージはないんですけど、「普通」とされるものを常に疑っていたい、という気持ちはありますね。
 人はどうしても自分の生活範囲のなかで、目が届く範囲で、常識を作る。それはある意味当然のことなんだけど、それゆえに行き詰まったり、閉塞感に囚われたりすることもあると思うんです。
 だから、自分の活動を通じて知ってほしいのは「目の前にあるものがすべてではない」ということ。
 それが、僕の活動の根本にある動機だし、唯一伝えたいことかもしれません。

佐藤氏が着けているのは「Seiko Astron Revolution Line 5X series SBXC059」。1969年にセイコーが世界に先駆けて発売したクオーツウォッチ「クオーツアストロン」の流れを受け継ぎ、2012年、世界初のGPSソーラーウォッチとして誕生。先端の技術で時計の枠組みを変革し、時間の精度を追究するハイエンドモデル。

 旅をしていると、「こんなふうに生きている人がいるんだ」とか、「こんな考え方もあるんだ」と気づくことが多々あります。僕の作品を見てくれる人にもそれが伝わり、それぞれの人の「普通」が少しでも揺らいだなら、嬉しいと思いますね。

── コロナによって、ビジネスやライフスタイルを含めた価値観が大きく変化しました。これから先、移動や体験はどうなると思いますか。

 合理的に考えると、ビジネスなどでの不要不急の移動は今後どんどん減らされ、リモートに置き換えられていく。
 だけど、旅はそもそも、合理的であることに疲れた人たちが、わざわざ行かなくてもいいところに「行きたいから行く」。むしろ僕は、予測のつかない苦労やハプニングを求めて旅に出ているような気がします。
 たとえば「きれいだな」と思うヒマラヤの写真を撮るまでには、何日もかけて山を登らないといけない。その過程には美しさだけではなく、ものすごく不快なこともあるわけで、トータルな体験としては後者の道程の方が記憶に残ったりもする。
 目的地の景色だけならVRなどの技術で代替できるようになるかもしれない。でも、それはまるで旅の代替にはならない。逆にこういう時代だからこそ、旅や体験の価値はむしろ高まっていくのではないでしょうか。

日本ではUMAとされるイエティとは何なのか。それを確かめるためにヒマラヤを訪れ、標高5700mを自分の足で歩く。「今回の最終目標地点とした、カラ・パタール。私は声を出して、思わず叫んだ。何と叫んだかは、よく覚えていない」(『ヒマラヤに雪男を探す X51.ORG THE ODYSSEY アジア編』佐藤健寿・著/河出文庫より)
写真提供:佐藤健寿

 ペストが流行した時代には「メメント・モリ(死を想え)」というテーゼが流行りました。いつ死ぬかわからないから、今を生きろと。
 そういう死生観の変化や、ペストに対して無力なキリスト教に対する不信からヒューマニズムが唱えられ、ルネサンスという新たな芸術や思想が興った。そういうテーマで作られた奇妙な洞窟や寺院などを、僕はこれまでたくさん撮影してきました。
 もしも、今回のパンデミックで社会構造や人の考え方が変わるとすれば、ウイルスや自然災害の経験を経て、「世界が不変ではないこと」を前提とした思考になるのではないでしょうか。
 固定された仕組みを維持するための社会システムから、アジャイル的に変化対応できる社会システムに変わらざるを得なくなる。それは個人の生き方も同じだと思います。

 変化し続ける状況を受け入れて、それでも楽しみながら生きることは、「旅すること」にもどこか似ているように思います。
 まだしばらく時間はかかるでしょうが、世界がコロナ禍を乗り越え、どこかで新しい何かが生まれるならば、僕はその場所を訪れて撮影したいと思います。

(制作:NewsPicks Brand Design 編集:宇野浩志 執筆:田澤健一郎 撮影:森カズシゲ デザイン:月森恭助)


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