歴史を学び、新しきを知る
時間は流れゆくもの。しかしそこで得た経験や学びは、
自分の中にしっかり残っていく。
セイコーは長年にわたる時計製造の歴史の中で、
幾多の困難に立ち向かい、それを糧に成長を続けてきた。
1965年に誕生した国産初のダイバーズウオッチも
前例のない挑戦であり、
その研鑽の歴史はセイコー プロスペックスに
連綿と受け継がれている。
同ブランドが掲げる「Keep Going Forward」の
スローガンは、60年にわたる歴史の中で醸成されたもの。
過去の遺産に触れることで、
さらに前進したいという気持ちに火がともる。


海という未知なる領域に挑んだ腕時計
俳優でありロースターの坂口憲二は、今年で60周年を迎えるセイコーのダイバーズウオッチの歴史に触れるために、「セイコーミュージアム銀座」を訪ねた。そこで待っていたのは、セイコー プロスペックスのデザイナー木村正幸。まず二人はミュージアムの地下1階へ向かう。ここには、プロスペックスのルーツとなるスポーツウオッチが展示されている。
生命の源とされる海。しかしその実態を知ることは難しい。今もなお、宇宙よりも謎が多いとされる海だが、人類が海中を(比較的)自由に動けるようになったのは、空気ボンベを背負って潜水するスキューバダイビングの技術が確立された1950年代のことだった。
潜水士は空気ボンベの残量を知るために、潜水経過時間を計測する計器を求めた。そこで生まれたのがダイバーズウオッチだ。ダイバーズウオッチの始祖というべき時計は、1953年にスイスで作られた。それから12年後の1965年に、スイスから遠く離れたここ日本にて、国産初のダイバーズウオッチが生まれた。1965 メカニカルダイバーズの販売価格は13,000円。当時の大卒初任給が約25,000円であったことから判断すると、比較的手の届きやすい良質な腕時計であったことがわかる。
俳優でありロースターの坂口憲二は、今年で60周年を迎えるセイコーのダイバーズウオッチの歴史に触れるために、「セイコーミュージアム銀座」を訪ねた。そこで待っていたのは、セイコー プロスペックスのデザイナー木村正幸。まず二人はミュージアムの地下1階へ向かう。ここには、プロスペックスのルーツとなるスポーツウオッチが展示されている。
生命の源とされる海。しかしその実態を知ることは難しい。今もなお、宇宙よりも謎が多いとされる海だが、人類が海中を(比較的)自由に動けるようになったのは、空気ボンベを背負って潜水するスキューバダイビングの技術が確立された1950年代のことだった。
潜水士は空気ボンベの残量を知るために、潜水経過時間を計測する計器を求めた。そこで生まれたのがダイバーズウオッチだ。ダイバーズウオッチの始祖というべき時計は、1953年にスイスで作られた。それから12年後の1965年に、スイスから遠く離れたここ日本にて、国産初のダイバーズウオッチが生まれた。1965 メカニカルダイバーズの販売価格は13,000円。当時の大卒初任給が約25,000円であったことから判断すると、比較的手の届きやすい良質な腕時計であったことがわかる。

歴史の中で研鑽を積んだ
ダイバーズウオッチ
「腕時計をつくる上で、最も規格が厳しいのがダイバーズウオッチだといわれています。それは腕時計を使う環境として、水中が最も過酷な状況だからです。だからこそセイコーは積極的にダイバーズウオッチを開発してきた。それはひとつの挑戦の歴史ともいえます」と説明する木村。手元には1965 メカニカルダイバーズがあり、その腕時計を坂口に手渡した。
「ダイバーズウオッチというと大きくて武骨という印象がありますが、1965 メカニカルダイバーズのデザインはシンプルで、普通の時計のような印象ですよね。初めてのダイバーズウオッチですから、当時の関係者がやりたかったことをぎゅっと濃縮しているのでしょう。その時代にしか生まれないカッコよさがあります」。貴重な腕時計を手に坂口も興奮を隠しきれない。
当時は趣味でダイビングをする人は少なく、潜水士や南極観測隊といったプロユースを想定していた。そこで性能が評価され、冒険家など海以外の用途で使用するユーザーも獲得。結果として、セイコーがプロユースかつ比較的手が届きやすく良質な時計をつくるメーカーであるという印象をつくることにも成功したという。
「今でこそダイバーズウオッチは定番のカテゴリーですが、当時はかなり画期的だった。でもそんな最新のテクノロジーが、冒険家など想定外の人に愛されたというのは面白い。まさにここが原点なのですね」。自分自身の腕に収まる〈セイコー プロスペックス〉マリンマスター ダイバーズ 1965 ヘリテージ SBEN007とファーストダイバーを見比べながら、60年間の進化に思いをはせた。
「腕時計をつくる上で、最も規格が厳しいのがダイバーズウオッチだといわれています。それは腕時計を使う環境として、水中が最も過酷な状況だからです。だからこそセイコーは積極的にダイバーズウオッチを開発してきた。それはひとつの挑戦の歴史ともいえます」と説明する木村。手元には1965 メカニカルダイバーズがあり、その腕時計を坂口に手渡した。
「ダイバーズウオッチというと大きくて武骨という印象がありますが、1965 メカニカルダイバーズのデザインはシンプルで、普通の時計のような印象ですよね。初めてのダイバーズウオッチですから、当時の関係者がやりたかったことをぎゅっと濃縮しているのでしょう。その時代にしか生まれないカッコよさがあります」。貴重な腕時計を手に坂口も興奮を隠しきれない。
当時は趣味でダイビングをする人は少なく、潜水士や南極観測隊といったプロユースを想定していた。そこで性能が評価され、冒険家など海以外の用途で使用するユーザーも獲得。結果として、セイコーがプロユースかつ比較的手が届きやすく良質な時計をつくるメーカーであるという印象をつくることにも成功したという。
「今でこそダイバーズウオッチは定番のカテゴリーですが、当時はかなり画期的だった。でもそんな最新のテクノロジーが、冒険家など想定外の人に愛されたというのは面白い。まさにここが原点なのですね」。自分自身の腕に収まる〈セイコー プロスペックス〉マリンマスター ダイバーズ 1965 ヘリテージ SBEN007とファーストダイバーを見比べながら、60年間の進化に思いをはせた。
セイコーミュージアム銀座で知る挑戦の歴史
1965年に国産初のダイバーズウオッチを商品化したセイコーは、常に時代の先を行くという理念を掲げてきた。創業者の服部金太郎は、輸入時計の卸売、小売業から修理も行う「服部時計店」を1881年に創業。1892年には時計製造工場「精工舎」を設立して、まずは掛け時計の製造を開始。そして1895年には自社初の懐中時計「タイムキーパー」を発売。さらに1913年には、国産初の腕時計「ローレル」を発売する。この時期は、ヨーロッパの時計会社でも本格的に腕時計の量産化が始まり、普及し始めたころ、セイコーも時代の変化を読み取りながら、技術革新を進めていった。
セイコーミュージアム銀座では、国産時計の黎明期から現在までの歴史的遺産が展示されており、プロスペックスのデザイナー、木村の解説を聞きながら坂口は興味深げに収蔵物を眺めている。そしてひとつの展示に足を止めた。それは「関東大震災で焼けた時計」だ。
1923年に発生した関東大震災による火災で精工舎も被害を受け、修理のために預かっていた時計も焼け、溶けてしまった。しかし服部金太郎はすぐさま営業を再開し、焼失した時計に対しては同程度の新品時計で返済することを明言。顧客を大切にする姿勢を崩さなかった。そして震災前から開発を進めていた腕時計に「SEIKO」の銘を掲げ1924年に販売。震災から立ち上がる日本人たちに、希望という時間を与えたのだった。
「全てに驚きました。歴史の深さを学べましたし、時計づくりの奥深さも感じた。140年以上の歴史があり、しかも今でも第一線であり続けるというのはすごいこと。日本人として嬉しいですし、大事なことをたくさん学びました。自分が持っている腕時計のルーツを知ることは良い経験になりますし、こういった歴史の積み重ねが現在のプロスペックスに繋がっていることがよくわかりました。
ダイバーズウオッチの開発は、前例がないことだった。しかしそういったチャレンジ精神は一過性ではなく、昔も今もやっていたんですね。ダイバーズウオッチは時間がわかればいいのではなく、特殊な環境で使うための機能が凝縮されている。だけど現代は、そこに華やかさや高級感も求められる。試行錯誤を重ねてきたことがわかります」と坂口。歴史に触れることでプロスペックスの価値を深く理解し、さらに愛着が増したようだ。


ニーズに合わせて進化する
セイコー プロスペックス
セイコーミュージアム銀座の訪問を終えた坂口と木村は、同じく銀座に居を構えるセイコードリームスクエアへと移動する。ここはブランドの世界観を体感できるコンセプトショップで、2階にプロスペックスのコーナーが設けられている。
現在のプロスペックスのダイバーズウオッチは、「ダイバースキューバ」と「マリンマスター」に大別される。木村が着用しているダイバーズ 1965 ヘリテージ SBDC197は、ダイバースキューバに属しており、1965 メカニカルダイバーズの意匠を継承するモデルで、道具っぽさが残る正統派だ。一方、坂口が着用するマリンマスター ダイバーズ 1965 ヘリテージ SBEN007は、セイコー史上初のシースルーバック仕様のダイバーズウオッチだ。ケースバックからは薄型ムーブメントを覗くことができ、外装デザインで審美性という価値を加えている。それと同時に200m空気潜水用防水を実現し、デザインに特化しすぎず、ダイバーズウオッチの厳格な規格を守る。そのバランスを見極めるのがデザイナーの手腕となる。
「ダイバースキューバには、ファーストダイバーの面影を感じます。色使いもシンプルで、まさにダイバーのための道具といった雰囲気がかっこいい。マリンマスターはキラッと光る美しさがある。しかも薄型ですし、ケースバックもシースルーバックになっていますから、いい腕時計だなって実感できます。それもすべてはセイコーの挑戦の歴史があり、そこから生まれたファーストダイバーが優れていたからこそ、こうやって現代へと繋がっていった。60年の歴史の重みを感じます」と坂口。
より深くプロスペックスの世界を知ることで、腕時計へ信頼と愛着が増していく。そして、前進し続けたいという気持ちが強まっていく。
セイコーミュージアム銀座の訪問を終えた坂口と木村は、同じく銀座に居を構えるセイコードリームスクエアへと移動する。ここはブランドの世界観を体感できるコンセプトショップで、2階にプロスペックスのコーナーが設けられている。
現在のプロスペックスのダイバーズウオッチは、「ダイバースキューバ」と「マリンマスター」に大別される。木村が着用しているダイバーズ 1965 ヘリテージ SBDC197は、ダイバースキューバに属しており、1965 メカニカルダイバーズの意匠を継承するモデルで、道具っぽさが残る正統派だ。一方、坂口が着用するマリンマスター ダイバーズ 1965 ヘリテージ SBEN007は、セイコー史上初のシースルーバック仕様のダイバーズウオッチだ。ケースバックからは薄型ムーブメントを覗くことができ、外装デザインで審美性という価値を加えている。それと同時に200m空気潜水用防水を実現し、デザインに特化しすぎず、ダイバーズウオッチの厳格な規格を守る。そのバランスを見極めるのがデザイナーの手腕となる。
「ダイバースキューバには、ファーストダイバーの面影を感じます。色使いもシンプルで、まさにダイバーのための道具といった雰囲気がかっこいい。マリンマスターはキラッと光る美しさがある。しかも薄型ですし、ケースバックもシースルーバックになっていますから、いい腕時計だなって実感できます。それもすべてはセイコーの挑戦の歴史があり、そこから生まれたファーストダイバーが優れていたからこそ、こうやって現代へと繋がっていった。60年の歴史の重みを感じます」と坂口。
より深くプロスペックスの世界を知ることで、腕時計へ信頼と愛着が増していく。そして、前進し続けたいという気持ちが強まっていく。
魅力的な腕時計は、簡単には生まれない。プロスペックスは、セイコーの挑戦の歴史が結実したプロダクトである。
「潜水士や冒険家から愛されたセイコーのダイバーズウオッチは、まさに男心くすぐるアイテム。機能や実用性のレベルは高いけど、普通に落ち着くのではなく、常に進化してきました。だから魅力が深まるのですね」
プロスペックスは、チャレンジするブランドである。その姿勢は国産初のダイバーズウオッチが生まれた、60年前から今日まで変わることはない。
セイコーダイバーズウオッチ
60周年記念イベント
"Seiko Diver's Stream" 開催
2025年7月4日(金)~6日(日)
東京ミッドタウン日比谷 1F アトリウム

セイコーダイバーズウオッチ
60周年記念 ノベルティフェア
セイコー プロスペックスの対象商品をご購入の方に、
セイコーダイバーズウオッチ 60周年のロゴと、
坂口憲二さんが手掛けるコーヒーブランド
「The Rising Sun Coffee」のロゴが入った
特別なマグカップをプレゼント。
対象店舗:セイコーグローバルブランドコアショップ
対象商品:132,000円(税込)以上のプロスペックス
実施期間:2025年7月1日(火)~ なくなり次第終了