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ムーブメント設計 小島 博之

グランドセイコー
キャリバー9Fとは?

「正確さ」「見やすさ」「美しさ」という腕時計の本質を追求するべく、1993年にグランドセイコー専用機種として開発された究極のクオーツムーブメント「キャリバー9F」。年差±10秒という高精度を実現しながら、カレンダーを瞬時に切り替える「瞬間日送り機構」に加え、機械式ムーブメントに匹敵する高い駆動力と省エネルギーを両立させることで、クオーツでは不可能だった長くて太い針を回すことを可能にした「ツインパルス制御モーター」、規則正しい一秒を刻むために秒針のふらつきを軽減する「バックラッシュオートアジャスト機構」、保油性を飛躍的に高めるとともに、クオーツムーブメントの心臓部であるローター部への塵やほこりの侵入を防ぐ「組み合わせ軸受け構造」など、従来のクオーツの常識を覆す数々の新機軸が搭載されている。

2018年、「キャリバー9F」25周年を記念し、初めてGMT機能を付加した「キャリバー9F86」を搭載したモデルがグランドセイコー スポーツコレクションに登場した。新開発のクオーツムーブメントは、オリジナルキャリバーが持つ優れた機能を備えながら、時針・分針・秒針と4本目の針であるGMT針を取り付ける軸が互いに干渉せずに、独立して回転する「4軸独立ガイド構造」を新たに開発することで、それぞれの針が他の針に影響を与えることなく、滑らかに回転することを可能にした。誕生から四半世紀を迎えた今、世界最高峰の性能を誇るキャリバー9Fの新たな歴史が始まろうとしている。

キャリバー9Fの詳しい情報はこちらをご覧ください。

ムーブメント設計
小島 博之

「キャリバー9F」が誕生した1993年にセイコーエプソン株式会社入社。ウェアラブル機器事業部WP企画設計部において、ムーブメントのモーター要素開発をはじめ、KINETIC製品設計(1M/5J)やスプリングドライブ(9R)、ソーラー・電波ムーブメントなどの設計を担当。2018年10月発売の新キャリバー「9F86」では構想設計および設計チームリーダーを担う。

9F86 GMTクオーツ誕生の背景 ムーブメント設計 小島 博之 インタビュー

2018年、「キャリバー9F」25周年を記念して、新開発のクオーツムーブメント「キャリバー9F86」を搭載したモデルが登場した。グランドセイコー キャリバー9F史上初のGMT機能を備えた新キャリバーの開発に至る経緯や誕生までの軌跡を知るべく、ムーブメント設計担当の小島博之に話を聞いた。

新開発のクオーツムーブメント「キャリバー9F86」が誕生

2018年、グランドセイコー キャリバー9Fでは初となるGMT機能を付加した新クオーツムーブメント「キャリバー9F86」が発表されました。その開発に至る経緯について教えてください。

小島博之(以下、小島):新キャリバー9F86の開発に至った経緯を辿ると、発端は1993年発表の「キャリバー9F」にさかのぼります。このムーブメントは、通常のクオーツ式時計に搭載されている細い時分針ではなく、1960年に誕生した初代グランドセイコーが備えているような太く長い針を搭載することを目指して開発されました。クオーツ式時計は、ステッピングモーターという電気的なモーターによって動くため、ぜんまいがほどける力によって生じるトルクを動力源とする機械式時計に比べてトルクが小さく、重く大きな針を動かすことは不可能とされていました。しかし、当時の技術者たちの妥協なき探究心によって、機械式時計に比肩する太く長い針が正確に時を刻むことを可能にしたキャリバー9Fが完成し、グランドセイコーの名にふさわしい品格のある外観と優れた性能を兼ね備えたモデルを世に送り出すことができました。

実は、GMT機能を搭載する計画は、キャリバー9Fを発表した当初からありました。実現を目指して試作が行われていましたが、構造的にクリアするべき幾つかの課題があったため、一度は断念することを余儀なくされました。時を経て、加工技術が格段に進化した今なら、GMT機能を付加したモデルを実現できるのではないだろうか。そんな話が社内で持ち上がったのが2015年末ごろです。その後、構想設計に着手し、1年半ほどの期間をかけて試作を繰り返した末、キャリバー9Fの誕生からちょうど25年目となる記念すべき2018年に、新キャリバー9F86を搭載したモデルを製品化するに至りました。技術の進歩によって機が熟したといえる一方で、どうにか課題を克服してGMTモデルを世に出したいという、当初からキャリバー9Fの開発に携わってきた技術者たちの四半世紀を超えて抱き続けた想いがあったからこそ、実現することができた新キャリバーです。

具体的にはどのような課題があったのですか?

小島:最大の課題は、「瞬間日送り機構」と時針単独での時差修正を行う「単独時差修正機構」を同時に搭載することでした。瞬間日送り機構とは、日回し歯車の回転に従い、瞬間日送りレバーのばねを次第にたわめて力を蓄え、瞬間日送りカムの回転がある位置に来るとばねが瞬間的に解放されて、日付表示が瞬時に切り替わるという仕組みによって、0時のタイミングで、肉眼では見えないほどに素早く日付も曜日も変えることができるカレンダー機構です。時針の単独時差修正機構についても、25年前の9Fキャリバー発表当初から試作の開発が行われており、構造上、瞬間日送り機構をなくせば、比較的容易に搭載できることは分かっていました。しかし、キャリバー9Fの最たる特徴のひとつであるこの機構をなくしてまで、時針の単独修正機構を付加するという決断に至ることはありませんでした。

また時針の単独時差修正機構にこだわらなければ、4本目の針であるGMT針を付加すること自体は、より早い段階で実現できたと思います。あえて実行しなかったのは、世界最高峰の性能を誇るグランドセイコー キャリバー9Fである以上、時針の単独時差修正機構を実現させることもまた不可欠だったからです。つまり、GMT機能をキャリバー9Fに搭載するためには、瞬間日送り機構と時針の単独時差修正機構の二つを両立させることが最大の課題でした。

中でも、最も困難を極めたのは、時針の単独時差修正機構の実現です。この機構を実現することができれば、時間帯の異なるもう一つの地域の時刻に切り替える際に、クオーツキャリバーならではの高精度を保持しながら、その都度、りゅうずを引いて時計を止めることなく時針のみを修正することが可能になります。時差修正の度に時計を止めて操作すると、時刻にずれが起こります。年差±10秒という高精度を実現したキャリバーだからこそ、時計を止めることなく時差修正が可能となる単独時差修正機構がふさわしいと考え、その開発にあたっていきました。

どのように課題をクリアしていったのですか?

小島:時針を動かすのは、4体構造になった中央の「筒車」と呼ばれるパーツで、アセンブルした4つの部品は一体となって動きます。その中でも、時針の単独時差修正機構を実現するための要となるのが、「時ジャンパー」という極小のバネが付いた極めて繊細なパーツです。時差修正時にはバネの先端が12等分された歯車をひと歯ずつ移動していくのですが、その際、時ジャンパーは歯と擦れ合うため、柔らかい素材だと摩耗してしまいます。

試作を重ねながら試行錯誤の末にたどり着いたのは、時ジャンパーの素材として硬度に優れた炭素鋼を採用し、プレス加工で形状出しを行うという手法でした。当初は、非常に繊細なパーツゆえ、プレス加工は困難であると想定し、他の加工方法を色々と試していたのですが、当社の技術者と検討したところ、社内で加工できることが分かり、これには自身を含む設計担当者が誰よりも驚きました。中でも苦心したのは、時ジャンパーのバネ部分の加工精度を上げることでしたが、社内の高い加工技術により量産化を可能にしました。

他にこだわったのはどのような点ですか?

小島:GMT機能を付加した新キャリバー「9F86」を開発するにあたって、「瞬間日送り機構」をはじめとしたキャリバー9Fに備わる性能や機構を受け継ぎながら発展させたいという想いが強くありました。キャリバー9Fの特徴のひとつに、時針・分針・秒針の軸を完全に独立させた「3軸独立ガイド構造」があります。通常のクオーツ式時計の場合、分針と秒針を動かす歯車同士が接触しているため、秒針の動きにつられて分針が微妙に動くことがあります。そうした動きが美しくないと判断したことから、キャリバー9Fでは、各軸の間に細いパイプを打ち、3本の軸が干渉することなく独立して回転する構造をとることで、それぞれの針が互いに影響を与えることなく、滑らかに回転する針を実現しました。

キャリバー9F86では、耐久性にも優れたこの構造を踏襲し、4本目の針であるGMT針を動かす歯車が時針を動かす歯車と接触することのないよう、「4軸独立ガイド構造」を採用しています。GMT針を加えたことによって、針の取り付け位置は0.9mm増しましたが、その分、時針と分針の位置を下げることで針高を抑えています。3軸および4軸の独立ガイド構造もまた、世界でも稀に見るグランドセイコー独自の機構です。

これまでにもGMT機能を搭載したグランドセイコーモデルには、スプリングドライブなどがあります。そこで培ってきた技術やノウハウはキャリバー9F86の開発にも活かされていますが、お話してきたように、瞬間日送り機構と時針の単独時差修正機構を両立させるために時ジャンパーを独自開発するなど、今までの応用ではない新たな機構を実現させたことも、このキャリバーの大きな特徴のひとつです。

キャリバー9F 25周年記念限定モデル「SBGN001」が登場

2018年10月、新キャリバー9F86を搭載したモデル「SBGN001」が発表されました。
このモデルの特徴について教えてください。

小島:SBGN001には、標準が年差±10秒である「キャリバー9F86」の時間精度をさらに年差±5秒まで高めた特別精度のムーブメントを搭載しています。その証として、ダイヤルの6時位置には「ファイブ・ポインテッド・スター」というゴールドカラーの五角の星マークを配しています。

クオーツ式時計は、1秒間に32,768回振動する水晶振動子に電圧をかけることで規則正しく振動する性質を利用して調速を行う、電池を動力源とした機構です。クオーツの精度は、この水晶振動子の振動数をいかに正確に保てるかによって決まるのですが、個体差があり、環境や経年などの変化によって、安定した振動数を保てなくなるものもあれば、当初は精度の高かった水晶振動子であっても、長く使用する間に振動数がじわじわと変化して、進みや遅れが生じてしまうこともあります。

そこで、ある一定の時間を経ると振動数が安定するという水晶振動子の特徴に着目し、グランドセイコーのクオーツモデルでは、「エージング」と呼ばれる方式を経て選別された水晶振動子のみを使用しています。世界に先駆けてグランドセイコーが導入したこの方式は、水晶振動子に一定の電圧をかけて、人為的に経年変化を与えながら、性能が安定した水晶振動子のみを選別し、振動数が落ち着く状態をつくってから搭載するというもので、工程は3ヵ月間にわたって行われます。

こうして厳格な基準をクリアした水晶振動子だけが9Fクオーツに搭載され、年差±10秒の精度を実現しているのですが、SBGN001にはその中でもさらに安定した性能を持つ水晶振動子を搭載し、年差±5秒の特別精度を実現しています。

力強く堂々としたGMT針と、上下ツートーンのビビッドなカラーリングが目を引きます。

小島:GMT針と24時間計の鮮やかなイエローとチャコールグレーのダイヤルの組み合わせは、これまでのグランドセイコーにはなかった大胆なカラーリングでありながら、そのコントラストを活かし、高い視認性を確保しています。GMT機能を搭載したこのモデルは、日本国内のみならず、グローバルな舞台で活躍されている方や旅行などで海外に行く機会の多い方、あるいは時差のある国や地域にお住まいの方などにも有用な腕時計だと思います。またグランドセイコーらしい品格とともに、スポーツコレクションならではのアクティブな印象を備えていますので、若年層をはじめ幅広い年代の方にお使いいただけるのではないかと思います。

今後、グランドセイコー クオーツモデルで挑戦してみたいことは何ですか?

小島:今回発表した9F86においては、長年の課題だった時針の単独時差修正機構とGMT機能の搭載を実現することができました。通常、ムーブメントは目には見えない部分でありますが、今後はさらにスマートな操作性など、より実用性を考慮した進化に挑戦していきたいと思っています。