国産初の腕時計ローレルをモチーフにしたモニュメントと、
セイコーの歴史を紡いできた時計たち。
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お買い上げいただいたセイコーの腕時計を永くご愛用いただくために、
時計の状態を知るためのコーナー。
1873年、明治政府は新暦の太陽暦を採用し、不定時法から定時法に切り替えました。改暦の翌年の1874年、服部金太郎は、客足が少なくなる雨の日でも時計店は修理に励んでいることに注目し、時計業を志すことになります。
1881年、服部時計店を創業し、「常に時代の一歩先を行く」という精神のもと、挑戦と努力を続けました。
1892年、服部金太郎は時計の国産化という目標の実現のため、時計製造工場「精工舎」を設立し、「ボンボン時計」と呼ばれる掛時計の製造を成功させました。
設立から3年後の1895年に輸出を開始します。
1899年に国産初の目覚時計を発売。真鍮のケースにニッケルメッキを施し錆にくくしたため好評を博しました。工場設備を一新し、部品製作を分業化して増産しました。1915年には、イギリスから60万個、フランスから30万個の大量注文を受け、当時としては驚異的な額の外貨を獲得することになりました。
「将来、腕時計の時代が来る」金太郎は時計の未来をいち早く見据えて1913年に国産初の腕時計「ローレル」を発売します。世界では19世紀末に腕時計の量産化が始まりますが、後進の日本の時計メーカーにとっては冒険的な挑戦でした。これによって設計・微細加工技術や工作機械開発が大きく進化していくことになります。
1950年代後半、セイコーの精度への挑戦が始まり、独自設計による高精度な腕時計「マーベル」や「クラウン」が相次いで発売されました。1960年、「初代グランドセイコー」は、スイスのクロノメーター検査基準優秀級と同等の精度を実現しました。平均日差-3~+12秒以内に精度をおさめたものを合格品とし、証明書を付けて発売しました。
1923年、関東大震災による火災で工場、時計店、自邸を焼失します。すでに62歳となり、一度は落胆した金太郎でしたが、すぐさま精工舎の再開を宣言し、復興を開始しました。また顧客から修理のために預かっていた1500個余りの時計も焼失しましたが、同程度の新品をもって返済し、大きな話題となりました。
1969年12月25日、セイコーはクオーツ腕時計「クオーツ アストロン」を世界で初めて発売しました。クオーツ腕時計は従来の機械式時計と比べて100倍以上の精度を可能にしました。その後セイコーは特許を公開し、現在の腕時計生産数の約97%はクオーツ式になっています。
2012年、セイコーは世界初の GPS ソーラーウオッチ「セイコー アストロン」を発表しました。20,000km の上空を周回する GPS衛星の信号を獲得することで、地球上のどこにいても、すばやく正確な時刻を表示します。初代クオーツ腕時計アストロンの名を引継ぎ、より高精度な時計を広く普及させることを目指しています。
従来の機械式ストップウオッチは、複数個で計測した場合、誤差が生じていました。1962年にセイコーは、機械式時計の心臓部であるてんぷに「ハートカム」というハート型の部品を取り付け、スタート・ストップ機能を大きく革新し、計測の誤差を防ぐストップウオッチを完成させました。
ベオグラードで行われた国際陸上競技連盟の検定において、数時間にわたるテストで 0.1 秒の単位まで正確であることが証明されました。
グランドセイコースタジオ 雫石(2020年竣工)
服部金太郎は、工場・精工舎の設立当初より最新の機械設備の導入と熟練技術者の養成に注力しました。腕時計の業界で自社一貫生産を意味する「マニュファクチュール」であることは、その後セイコーが独創的な国産初、世界初の製品を生み出す原動力となりました。この精神を受け継ぐ「現代の名工」たちは、日々、真摯な姿勢でものづくりに向き合い、次世代への技能継承に取り組んでいます。
1881 | 服部金太郎が服部時計店(時計小売・修理の店)を創業 |
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1892 | 小売業の成功を背景に、精工舎設立 掛時計の製造開始 |
1894 | 銀座4丁目角に店を移転し、時計塔つきの店舗を構える |
1913 | 懐中時計からの変化を先取りし、国産初の腕時計「ローレル」発売 |
1923 | 9月の関東大震災で工場、店舗すべて消失するも11月に営業再開 |
1932 | 現在の銀座四丁目時計塔(和光本館)竣工 |
1960 | 世界最高水準精度の「グランドセイコー」発売 |
1964 | 国際レベルのスポーツ大会公式計時技術を確立 |
1969 | 世界初のクオーツウオッチ「クオーツ アストロン」発売 |
1987 | IAAF 世界陸上ローマの公式計時 以降継続して計時担当 |
1999 | 世界初のスプリングドライブウオッチ発売 |
2012 | 世界初 GPS ソーラーウオッチ「セイコー アストロン」発売 |
1934(昭和9)年頃までの四半世紀に亘り製造され、明治・大正・昭和初期の精工舎の花形機種で輸出の主力製品であった。前年の1908年に量産性の高いピニオン自動旋盤を自社開発し、精度の高いアンクルレバー脱進機を初採用するなど、量産性と高性能を備えた、時代を画した懐中時計である。
腕時計の時代の到来をいち早く見据え開発した、12型の国産初の腕時計。世界的に腕時計が量産化され始めたのは、1891(明治24)年以降であり、遅れていた日本の時計メーカーにとっては冒険的な挑戦であった。これによって設計技術・微細加工技術や工作機械開発が大きく進化していくことになる。2014(平成26)年日本機械学会より、日本の機械の発展に貢献したとして「機械遺産」に認定された。
最初のセイコーブランドウオッチ。関東大震災の年まで製品毎にブランドを命名していたが、震災後、精密で正確な時計を作り続けるという精工舎創業の原点に立ち返り、ブランドをSEIKOに統一した。
時計の基本性能である精度・信頼性・見易さを徹底して追求した実用腕時計の最高峰。マーベルの後継機種、名機クラウンをベースに一層の高精度化のために、全ての技術・技能を注ぎ込んで開発。2014(平成26)年日本機械学会より「機械遺産」に認定。
東京オリンピックの年に発売した国産初のストップウオッチ付腕時計。コラムホイールで作動を制御。
国産初の150m防水腕時計。高水圧に耐えるよう、リュウズ部分に二重パッキン構造を採用、第8次南極越冬隊に採用された。
世界初のクオーツ腕時計。時間精度1ヶ月±5秒以内という腕時計の歴史を変えた高精度を実現。独自に開発した音叉型水晶振動子、オープン型ステップモーターは、現在のクオーツ腕時計の標準となっている。特許技術の公開によりクオーツ腕時計の世界的普及に貢献。2004(平成16)年米国電気電子技術者協会(IEEE)「企業革新賞」「マイルストーン賞」をダブル受賞。2014(平成26)年日本機械学会より「機械遺産」に認定。
世界初のいつでもどこでもテレビを見られるチューナーとヘッドホン付きの腕時計。FMラジオ付きで、腕時計の機能としても、アラーム、クロノグラフ、カレンダーとフル装備。
女性の腕時計が主にアクセサリーとして捉えられていた時代。ルキアは、自分らしく生きるための実用ウオッチのパイオニアとして誕生しました。Lucid(輝く)、Keen(はつらつとした)、Intellectual(知的な)、Active(活動的な)という、この年代の女性を象徴する言葉から「LUKIA」という名前がつけられました。働く女性にとっての使いやすさを考慮して、従来の女性用のウオッチよりも大ぶりでしっかりした作りのルキアは、発売後すぐに人気を博し、現在に至るまで数多くの女性の支持を得ています。
スプリングドライブは、ぜんまい駆動と水晶振動子からの正確な信号で制御することで、従来にはない、日差1秒以内という高精度を実現したセイコー独自の駆動機構です。1999年、構想から20年以上の開発期間を経て、究極の省エネルギー設計と流れるように動く秒針を備えた、全く新しい領域へと進化を遂げた腕時計として誕生しました。2004年からはグランドセイコーの主要モデルに搭載され、卓越した匠の技による日本の繊細なものづくりと先端技術の融合が世界から高い評価を受けています。
世界初のGPSソーラー腕時計。世界中の全てのタイムゾーンに対応し、ボタン操作ひとつで、いつでもどこでも正確な時刻を知ることができる。GPS衛星から原子時計の正確な時刻情報を受信、ソーラー発電で動き続ける次世代の腕時計。