



自然が生み出す日本の美
南北に細長い日本列島では、
多様な自然に出会うことができる。
九州と沖縄の間に位置する鹿児島県の奄美大島は、
年間を通して温暖多湿な亜熱帯海洋性気候であり、
美しい自然と独特の生態系を維持している。
この地で生まれた「大島紬」もまた、
自然の中から生まれたものだ。
自然への畏敬の念を形にする
大島紬村 代表/伝統工芸士 越間 得晴さん、
セイコーウオッチ プロダクトデザイン部 松本卓也
セイコーウオッチのデザイナーとして「セイコー プレザージュ クラシックシリーズ」に携わった松本卓也が、美しい自然の力を借りて生み出す絹織物「大島紬」の魅力に触れるため、奄美大島を訪ねた。
本場奄美大島紬の工房であり、製造工程の見学もできる施設「大島紬村」の代表取締役社長である
越間得晴氏との対談の中から、自然の中から生まれる日本の美の魅力を再発見する。
精密な手仕事が自然と融合する
ミクロの世界に秘められた美への探求心
正倉院に献上されたという記述もあり、約1300年の歴史を持つとされる絹織物「大島紬」。絹糸を使って細かい絣模様を表現するのが特徴で、その精密な模様でも高く評価されている。また独特な泥染め染色技法も特徴で、独特の風合いで人気が高い。
越間:その昔、奄美は「道の島」と呼ばれていました。大陸と大和の交易の中継地として様々な文化が伝わり、それが人々の暮らしの中で独特な発展を遂げてきました。大島紬もそのひとつ。昔は手作業で絹糸に糸をくくることで、着色しない場所をつくって模様をつくりましたが、明治時代に締め機(しめばた)が開発されたことで、より細かく色が入った絹糸をつくることができ、美しい絣模様の絹織物が生産出来るようになりました。着崩れがしにくく、しわになりにくい特徴があるので、今では洋服の生地として使うことも増えました。
松本:今日は大島紬でつくられたシャツを着ているのですが、すごく着心地が良いですね。1300年という長い歴史をかけて受け継がれてきたものなのだと実感しています。繊細な模様の美しさにも惹かれますが、かなり緻密なつくりですね。
越間:締め機を使用すること、そして約0.3㎜の絹糸を使用することで繊細な模様を表現できます。ただしすべてが手作業なので、織っているうちに模様が少しずれたり動いたりする。だから1本1本丁寧に、模様合わせをしていきます。
松本:まさにミクロの世界を、人の手で作っているのですね。時計も精密な世界です。私たちが図面を描くときは、1が百分の1ミリを意味しますから、近い部分がありますね。
越間:そうですね。細かいことを正確に進めていくためには、やはり技術が必要になってきますよね。

大島紬村 代表/伝統工芸士 越間得晴さん

セイコーウオッチ デザイナー 松本卓也
スタンダードを目指すことは、一番難しい
松本:セイコー プレザージュ クラシックシリーズは、日本の伝統的なものづくりに込められた感性や工芸品が持っている温かみを、腕時計で表現したいと思ってデザインしました。コンセプトは“日本の美をしなやかに纏う”。腕時計は時間を知る道具ですが、どこかで風合いや柔らかな光沢をうまく取り込めないかと考えた時に注目したのが、日本で古くから愛されてきた絹でした。
越間:なるほど。確かに線がランダムに並んでいるダイヤルの様子は、とても絹糸みたいですね。この小さな世界の中に、とても大きな世界が広がっている……、そういうイメージを持ちました。
松本:ダイヤルはよく見ると表面が緩やかにカーブしています。こうすることでダイヤル表面の絹のテクスチャーへの光の当たり方に変化が加わり、表情がいろいろ変化するのです。越間さんにご着用いただいているモデルは、藍白と呼ばれる日本の伝統色。 日本の初夏の夏の空を思わせるような、みずみずしい、ちょっと透明感のある色を表現しています。普段着のように日常を彩る…、そういった親しみやすいスタンダードな腕時計を作りたかったのですが、うまく実現できたのではないでしょうか。

越間:スタンダードを目指すことは、一番難しいことですよね。実は大島紬は、親子孫の3代使えます。大島紬の生地には裏表がありませんので、娘さんが生まれると、ご自身の着物を全部ほどき、生地をひっくり返してもう一度着物に仕立てて直すことができます。そしてその娘さんに子供が生まれたら、今度は子供のおくるみにする。絹糸がものすごく柔らかくなっているので、最適なのです。これだけ長く使えるものだからこそ、“スタンダード”が求められる。どういった柄が流行っているのですか? と聞かれることは多いのですが、大島紬の場合は普遍的な柄を選び、合わせる帯や持つバッグなどの小物を変えることで、60代でも20代でも似合うのが理想。それは普遍的なスタイルを持つセイコー プレザージュ クラシックシリーズにも通じる考え方ではないでしょうか。
自然や風土から美しい製品が生まれる
松本:ここにいると奄美大島の豊かな自然に圧倒されますね。こういった環境が創作に与える影響は大きいですか?
越間:大島紬には、泥染めという伝統的な染色技法があります。この大島紬村がある龍郷町の土壌には鉄分が豊富に含まれており、泥染めに適しているのです。泥染めの技法を使って様々な柄が考案されましたが、本日松本さんが着用しているシャツの柄は、奄美大島のソテツなどをイメージしています。そのほかにも奄美に生息する動植物や自然をモチーフにしたものはたくさんありますよ。
松本:生活の中に、自然が溶け込んでいるんですね。
越間:奄美大島の人々は、自然に対して畏敬の念を抱きながら暮らすことで、文化が育まれてきました。大島紬も自然と共生をしていくという気持ちの中から生まれたものでしょうし、そういった文化を大事にしながら、次に受け継いでいく…。それは私にとっては、大きな大事な役割なのです。
松本:日本の美というのは、風土とは切り離せないですよね。絹織物は世界中で作られてきましたが、場所や人、歴史など、その土地に紐づく、素材や質感、風合いに個性がある。それも作り手たちが、これがいいんだという美しさを発見して、理想を追いかけた結果です。そういった歴史の積み重ねの中で、日本の美が醸成されてきたのでしょう。
伝統を守り、受け継いでいくために
越間:奄美大島では四季折々で、季節ごとに行事があります。それを感じながら暮らしていけば、当然自然との共生していくことになる。そういったものが伝統となり、暮らしの中で工芸品が生まれる。それを長く使い続けることで受け継がれる。やはり日本の美の根底には自然の共生は欠かせません。
松本:長く使ってもらうことは、セイコー プレザージュ クラシックシリーズが大事にしていることでもあります。時間を知るための道具としての視認性や使い勝手は重要ですし、ストレスなく使えないとけない。日常生活の中で機能しているという状態こそが、日本の美意識の根底にある「用の美」につながっていると思います。
越間:日常の中で使われるものこそ、美しいものでないといけない。また使われることで、だんだん美しくなっていくものでもなければならない。この時計を見ると、長く使いたいなと思う。それは用の美を感じるからなのかもしれませんね。
松本:親子孫の3代で使える大島紬も、長く愛されるものであり、用の美を感じます。
越間:かつて着物は、日常着として日本の人々に親しまれてきました。しかし今は、そういう機会も減っています。しかし先人たちが受け継いできた技術を次につなげていかないとならない。私たちは「大島紬村」という施設を通じて大島紬の技法や緻密さといった価値を伝えていきたい。さらに「大島紬のある暮らし」をテーマに、さまざまないろんな商品を開発しています。 使う人たちに小さな喜びを伝えられたらいいですね。
松本:腕時計は今でも人々の身近な存在ですから、セイコー プレザージュ クラシックシリーズを通じて、日本の伝統や美意識を、次世代に伝えていくお手伝いができれば嬉しいですね。このモデルは「絹」をテーマにしているので、腕時計を通じて、大島紬のような日本の絹製品に興味をもってもらうきっかけになりたいです。


蚕が作り出した糸で紡ぎ出す絹織物は、その土地の文化に合わせるように進化してきた。大島紬の場合は、染色技法や柄などにそういった風土が継承されている。それはつまり、単に美しいだけでなく、実用品として使われてきたことを意味する。
セイコー プレザージュ クラシックシリーズもまた、繊細で美しい表現を取り入れた時計でありながら、日常的に使える実用品である。
両者に共通するのは、人々の暮らしに寄り添いながら、日々を豊かにしてくれるものということ。そして日本の美を具現化したものであるということだ。
日本の美を繋ぐモノ
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セイコー プレザージュ
クラシックシリーズ
【奄美大島の自然遺産 編】
自然の中から文化が生まれる
旧暦が生活のリズム
令和3年の世界遺産委員会にて、「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」が世界自然遺産に登録された。これらの4島はかつて大陸の一部であり、数百万年前に大陸と完全に隔離して島として残った。そのため、この地域には、大陸では絶滅した(古い時代の)生物の子孫や、各島々で独自に進化した生物など、この地域にしか生息・生育していない固有種や絶滅危惧種が多数存在する。奄美大島と徳之島のみに生息し、ウサギの原始的な特徴を持ち「生きた化石」と言われるアマミノクロウサギは、生物多様性の保全に極めて重要なこの地域を象徴する動物だ。
豊かで個性的な環境に囲まれた奄美大島に暮らす人々は、常に自然と共生してきた。
「奄美大島では、暮らしに関わる様々な行事を月の満ち欠けを基準とする旧暦(太陰太陽暦)で決めています。例えば旧暦の1日と15日は、必ず墓参りに行きます。この1日と15日は非常に重要で、1日は新月、15日が満月にあたります。また、大潮と重なり、この日には潮の満ち引きが大きくなります。そのため、魚釣りや潮干狩りに出かけるのです。旧暦の3月3日は“サンガツサンチ”と言われ、島内各地で海開きが行われ、赤ちゃんの足を海につけて無病息災を願う伝統行事も催されます。こういった自然界のリズムが、生活の中に組み込まれているのです」と語るのは奄美大島世界遺産センターの森山 和也氏。

奄美大島世界遺産センター 事務局次長
森山和也さん
知ることから、守ることが始まる
奄美大島では、自然と伝統文化が密接に結びついているのだ。だからこそ、自然を守ることが伝統文化を守ることに直結する。
「奄美大島世界遺産センターでは、環境教育に力を入れています。大切なのは子どもたちと一緒に理解を深めていくこと。そうすることで無関心だった大人たちも耳を傾けてくれるようになりました。島民の理解なしでは進めることが出来なかったハブ対策で導入され外来種マングース根絶、ノネコ(野生化したネコ)対策や飼い猫の適正飼育は、在来種の回復に大きな効果をもたらしています。奄美大島では、何百万年もの時間をかけて特殊な(ユニークな)生態系がつくられてきました。それが人間によって失われてしまったら取り返すことは容易ではない。このセイコー プレザージュ クラシックシリーズのように、美しい時計文化や日本の伝統美を継承していくことは、とても意義のあることだと思います」。
日本の美を繋ぐモノ
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セイコー プレザージュ
クラシックシリーズ
【黒糖焼酎 編】

伝統とは、ブレない気持ちの表れ
酒文化も、周囲の自然環境と無縁ではいられない。奄美大島(と周辺の奄美群島)では、この地でしか生産することを認められていない「黒糖焼酎」がある。
黒糖焼酎の主な原料は、黒糖とタイ米、米麴。黒糖を用いたのは、江戸時代からこの地が砂糖の名産地であったから。といっても当時は米を材料にした泡盛が主流だった。
そして終戦後の1945年から1953年までの米軍統治下の間に、黒糖を使った焼酎の製造が広まり、1953年に奄美群島が日本復帰を果たすと、米麹を使うことを条件に黒糖焼酎製造の特例が認められたという。
米焼酎や芋焼酎など、様々な種類の焼酎がある中で、黒糖焼酎の生産数は非常に少ない。しかし世の中の流れに迎合することなく伝統を守り続けるのが、いち早く黒糖焼酎の製造を開始した、1922年(大正11年)創業の弥生焼酎醸造所だ。

弥生焼酎醸造所 4代目 川崎 洋之さん
「経営のことを考えると、飲みやすくクセの少ない焼酎を造るのが正解かもしれませんが、“味があるから良い、香り高いから良い”という価値観を失いたくなかった。だから、売れなくても“選ばれるお酒”を造っていこうと決めました」と語るのは弥生焼酎醸造所の代表取締役、川崎洋之氏。

弥生焼酎醸造所 4代目 川崎 洋之さん
「“伝統”というのは、本当に大切にしたい心の根幹であり、造り手としてブレない酒造りの道だとおもいます。同時に時代に合わせたものや新しい技術にも関心を持ち続け、文献や学会発表、醸造機械の会社などで新技術が登場した際には、エビデンスを重視しつつやってみる。そしてそれが弥生焼酎にとって必要な技術かどうか確認し、取捨選択します。県の工業試験場や国税局との共同研究にも積極的に携わるようにしているのは、かつて自分が研究者であったことが大きいですね」
長く愛されるものを目指す
「日本の美意識として、“侘び寂び”という考えがありますよね。その中でも僕は“寂び”の思想。すなわち、時間の流れによって表れる美しさに惹かれます。長く愛され、長く楽しまれるお酒を造りたい。そのためには最初の段階で経年変化を意識した作り方をしなきゃいけない。でもそれを考えながら酒造りをするのが楽しいのです。それって時計も同じですよね。長く愛されるものになるためには、普遍的で美しいデザインが求められる。セイコープレザージュ クラシックシリーズにも、寂びの美しさを感じます」
伝統とは時間の中で醸成されるもの。そのためには時間経過に耐えうるものづくりが求められる。しかしそこにチャレンジすることは、作り手にとって喜びでもあるのだ。