



日本が誇る
ジャパン・ブルー
海洋国である日本は、
古くから深い海のブルーを愛してきた。
その色を引き出す藍染の技術は、
日本各地で継承されているが、
その原料の一大産地が徳島だ。
吉野川によってもたらされた自然の恵みと
藍染の染料の元となる
「蒅(すくも)」づくりの伝統は、
現代のジャパン・ブルーとして、
さまざまな形で継承されている。
日本遺産にも認定された阿波藍
本藍矢野工場
染師(天然灰汁発酵建技術保持者)
矢野 藍秀さん
in Between Blues
阿波藍プロデューサー
永原レキさん
日本の魅力を再発見するための
文化庁の取り組みである「日本遺産」。
阿波藍の歴史と文化のストーリーは、
そのひとつに認定されている。
単に青く染めるための染料ではなく、
自然環境や地理的要因、
そこから生まれた文化に至るまで、
阿波藍には深い物語があるのだ。
藍は生き物。
だから難しいし、面白い。
藍染料の最高峰、阿波藍
藍とは、タデ科イヌタデ属の一年生植物。別名は、タデアイ(蓼藍)とも呼ばれる。日本でも古来より青色の染料として重用されてきた。日本では、収穫した藍の葉を乾燥させ、水を打って醗酵させた蒅(すくも)を使って藍染を行うのが主流。そしてこの蒅の一大産地となるのが、吉野川流域。かつて阿波と呼ばれた現在の徳島県である。
現在の徳島でも、江戸時代からの伝統を受け継ぎながら蒅(すくも)をつくる「藍師」と、その蒅を使って藍染を行う「染師」が活動している。本藍染矢野工場の染師、矢野藍秀氏もその一人だ
藍中心の生活が求められる
「藍は生き物。だから対話が大事なんですよ。蒅から灰汁発酵建てという方法で染液をつくったら、少しずつ年を取っていく。その間にいかに色を出すかは、全て自分にかかっている。状態が悪くても藍は何も言わないので、自分で先読みして、藍の染液の管理をしないといけない。藍に無理をさせるのではなく、藍の状況に合わせて人間がついていく。藍が全ての生活の中心になりますが、そこまで徹して仕事ができるかどうかが重要なのです」そう語りながら、矢野氏は黙々と作業を進めていく。
「藍染は、藍染の染料に浸し、絞って空気に触れると酸化して発色する。それを何回繰り返して染めたのかで色の濃さが変わってきます。藍四十八色と呼ばれるくらい藍には色の種類があってその全てに名前がついています」
その繊細な色の違いを引き出すのは、染料につけている時間と回数。しかし時計を見て計測するのではなく、体に時間が染み込んでいる。しかも藍染の染料のコンディションも、染料を素手で触ることで、状態を把握できるという。
「藍染の技術は、600年余りの歴史がありますが、時代が便利になればなるほど、普通に藍を建てる(藍染の染料をつくること)ことが難しくなっている。例えば灰汁発酵建てという技法では、pHの高い理想的な灰がなかなか手に入らない。石灰もどんどん質はよくなっているが、自然なものが減ってきている。昔から当たり前のように手に入っていたものが、入手しにくくなっている中で、どういう材料を選び、昔ながらの技法を崩さずに色を出していくか。それが大切になっている。私たちは、藍の長い歴史の中で、今という“点”を任されているだけ。自分が間違った選択をしたら、次の時代に間違った文化や技法を伝えてしまいますから」
文化を紡ぐこと。それが使命
連綿と流れる文化の時間軸の中で、今という一点を任されている。その言葉には、文化を紡いできた先人への敬意と、これからを担う次世代へと継承していくことへの責任感がにじみ出ている。
「セイコー プレザージュ クラシックシリーズ」もまた、機械式時計という数百年にわたる文化を継承するものだ。
「この文字盤、見慣れている藍の色に近いですね。もちろん本物の藍色ではありませんが、藍四十八色の中では『藍色』に近い色かな。最も藍らしい色で、薄すぎず濃すぎずちょうどいい色。私の藍に染まった腕ともシンクロしていて面白いですね。
文字盤のモチーフは絹だそうですね。藍染をする上で、絹は最も染まりづらい。動物性の素材なので、力のある藍染の染料を選ばないと理想の色に染まりません。しかし文字板の藍の色は、全く違和感もないですし、それでいて光が当たると照りも出ますし自然な色ですね。全体に柔らかに丸みを帯びたデザインは、私の太い腕にもちょうどいい」
さらに矢野氏は、藍染めと時計に共通する日本の美を感じた。「藍染の特徴として、人が使えば使うほど“枯れる”という表現があります。藍はもともと植物なので赤系とか黄系の色が一緒に入っている。それが空気に触れて、どんどん酸化することで、赤や黄が褪色し、より青みに冴えが出てくる。つまり使えば使うほどよくなるのが藍染であり、どんどん使って、色を育てていくのが理想です。
セイコー プレザージュ クラシックシリーズも、つけると作り手の思いが伝わってくる。いろんな人がこの時計を手にして、意見を聞いて、微妙にこの角度の削り方などについて意見を交わしながら細部を詰めていったのでしょうね。だから使うほどに愛着が増していく。日本のものづくりとは、見えないところへの気遣いなのです」

本藍矢野工場 染師(天然灰汁発酵建て技術保持者) 矢野 藍秀さん

乾燥したタデアイとSARX133。矢野さんはタデアイの栽培も行い、観光客への紹介や後進の教育に役立てている。

空と海の青いグラデーション。
それが故郷の景色だった。
地元の海に、藍の色が重なる
海沿いの街に生まれ、サーフィンに魅了された永原レキ氏。全日本学生サーフィン選手権大会で個人・団体日本一達成後、国内外で働きながら、サーフィンと音楽と芸術を学んだ。2010年に地元徳島にもどり、衣料メーカーに入社。海部藍プロジェクトの主任としてタデアイ栽培から染色、広報を担当。そして2016年に徳島の伝統文化とサーフカルチャーを繋ぐプロダクト開発を目的に、藍染スタジオin Between Bluesを設立した。
「最初に藍に惹かれた理由が、天然藍が生み出すブルーのグラデーションだったんです。僕はこの海陽町で生まれ育ち、この海からいろんなことを学び、サーフィンを通じて世界中のいろんなところを旅してきましたが、海の上で波待ちしている時に常に眺めてきた景色が、まさに空と海が生み出すブルーの世界であり、それが故郷と世界を繋ぐとても大切な景色でした。」
伝統を守ることは、自然を守ること
海陽町に戻り藍文化に改めて触れた時に、ずっと見てきた景色とその藍が生み出すグラデーションがシンクロした。そこから藍染に魅せられていく。
「ずっと前からサーフィンを通じて、ふるさとの自然環境の大事さを守りたいと漠然と考えてきました。藍に出会った時は、まず色に魅了されました。でもその製造プロセスを掘り下げて勉強していくと、藍は自然から生まれて自然に帰っていくことを知ったんです。
伝統文化を守るっていうのは、まずはその根源である豊かな土や綺麗な水といった自然環境を守ることから始まる。さらには農業などの一次産業、そして、それらを加工する手仕事をされる職人さんへと繋がっていく。完成した製品にばかりフォーカスするのではなく、環境問題っていうのも直結して考えていかないと、伝統文化は守れないのでしょう」
プロセスを知ることで、本質が見えてくる
だから身の回りにあるものも、ビジュアルよりもプロセスを大事にして選ぶ。
「例えば洋服ひとつとっても、誰が作ったのか、何でできているのかを意識して選ぶようにしている。プロセスから意識してものを選ぶと、なんだかいいものに出会えることが多いんですよね」
それは時計選びにも共通する。セイコー プレザージュ クラシックシリーズは、メイド イン ジャパンの機械式時計で、熟練の職人たちが丁寧に組み上げている。
「 “日本の美をしなやかに纏う”というコンセプトが素敵ですね。日本の伝統産業や美意識にインスパイアされたものが世界に広がっていくことで、日本の藍文化に興味を持つ人が増えれば嬉しい。
色もすごく綺麗ですね。藍染と出会った当初は、空と海を表現できる淡い藍色が好きでした。しかし藍と関われば関わるほど深い色の方が魅力的に思えてくる。藍染の場合、深い色ほど、時間と手間がかかります。つまり濃い色に身にまとうっていうのは、作り手の情熱をまとうということでもある。
ガラスや文字盤がカーブし、インデックスや針もそれに合わせて少しだけカーブする。そういったところに“しなやかさ”を感じます。とても美しい表現ですよね。文字盤はシルクを表現しているそうですが、とても繊細でさりげない。
自己満足かもしれないけど、こういう時計をつけるのが“粋”ですし、この違いを楽しんでいる状況が嬉しいじゃないですか。文字盤の藍色は、文字盤の仕上げによって微妙な光の反射が変わり、色が変化して見える。このちょっとした違いで、独特な世界観を出していますね」
藍染の世界を知ってもらうこと。その文化を守ること。それは地元の自然や美しい海を守ることに繋がっている。海と空の間で世界を眺めてきた、永原レキ氏らしい視点だ。

in Between Blues 阿波藍プロデューサー 永原レキさん


徳島で生産される阿波藍は品質、生産量ともに日本一といわれ、日本各地の職人達と共に、藍文化を支えてきた。つまりは日本の藍文化の礎が、ここ徳島にあるともいえる。そのため徳島で藍に携わっている人々は、誇りを抱くとともに、自分たちが正しいことをしなければ、文化が廃れてしまう責任も感じている。だからこそ、実直に自然と向き合い、技術を学び、明日につなげる。日本の伝統文化は、多くの人の手によるバトンリレーによってのみ継承されるのだ。
日本の美を繋ぐモノ×セイコー
プレザージュ クラシックシリーズ
【徳島の海 編】

永原レキ氏の藍染スタジオin Between Bluesがある徳島県南部の宍喰海岸とSARJ011。
美しい海が文化を育む
四国の東側に位置する徳島県は、太平洋と瀬戸内海をつなぐ位置にあることもあって多様な表情の海を楽しめる。徳島の海を語る上で欠かせないのが、徳島県鳴門市の孫崎と兵庫県淡路島の門崎との間に広がる「鳴門海峡」だ。幅がわずか1.3kmしかないため、瀬戸内海と紀伊水道との海水の干満によってこの海峡に落差が生じ、すさまじい潮流となって渦潮が発生。その渦潮の大きさは最大直径30mにもなり、世界三大潮流のひとつに数えられる。
この特殊な地理的環境が育むのが、豊富な海産物だ。特に真鯛は「鳴門鯛」というブランド名で呼ばれており、潮流の速い鳴門海峡で暮らすため筋肉が発達して体高が高く身がしまっているのが特徴。さらに激しい潮流の中で育てられる「鳴門わかめ」も名産で、シコシコとした歯ごたえと風味の良さが特徴となる。そして関西で特に人気の高いハモは、徳島県が漁獲量・漁獲金額とも全国トップクラス。6、7月のハモは、栄養が行き届いてひときわ美味しくなるので、夏の味覚の代表として愛されている。
一方で太平洋に面する東海岸や南部エリアは、リアス式海岸が作り出す景勝地としても有名。美しい海水浴場やプライベートビーチでは、サーフィンやSUP・シーカヤックやダイビングなどのマリンスポーツが盛んにおこなわれる。また、海を望むロケーションでキャンプやグランピングを楽しめる施設も豊富にあるため、関西圏からも多くの観光客が訪れる。
日本の美を繋ぐモノ×セイコー
プレザージュ クラシックシリーズ
【大谷焼 編】

阿波藍を支える大谷焼の新たな進化
進化することも、
文化の継承に欠かせない
藍染の工程で欠かせないのが、地元大谷焼で作られた藍甕だ。大谷焼の始まりは1780年。焼き物職人の文左衛門という人物が大谷村に、ろくろの技術を伝えたことがきっかけとなる。そして1781年に窯が築かれ、阿波で初めて染付磁器が製作された。
「大物作りに適していた粘土が産出されたという地域特性に加えて、藍甕の素材として陶器が適していたという理由もあります。陶器はよく空気を通すので、藍染の染料を良い状態に保ち、発酵が促進されることで良い色になるそうです」と語るのは大西陶器の代表執行役員社長、大西直紀氏。焼き物の技術と地場産業のニーズが合致したことで、大谷焼は発展していく。
「大谷焼の製造工程の特徴となるのが、人が寝た状態で、ろくろを脚で蹴って回す、寝ろくろの技術です。なにせ製作物が大きいので、遅いスピードで一定にろくろを回転させる必要があるのです」
ろくろを回転させる担当者は、甕を仕上げていく工程を見ながら、的確なスピードやトルクの掛け方を調整していく。その阿吽の呼吸が無ければ、巨大な甕を生み出すことは難しい。しかし、この重厚な藍甕のおかげで、大谷焼=黒くて重たいというイメージが定着してしまった。それでは大谷焼の未来が先細ってしまう。そこで新たに開発されたのが、阿波藍の文化を取り入れた藍-indigo-シリーズだ。
多様性をもった阿波藍の文化
「大谷焼の新しい製品を考えると、ごく自然に藍色が浮かんだ。藍甕を作ってきた大谷焼にとって、藍色が新しい大谷焼の特徴になってもいい。それがきっかけでインディゴブルーの釉薬を開発。藍染の染料をつくる過程で使用された灰をベースに調合し、深みのあるブルーを表現しました」
藍-indigo-シリーズは色を楽しむ器たちだが、それはセイコー プレザージュ クラシックシリーズにも通じる。
「文字盤が、すごく上品できれいな色ですね。一見すると単色ですが、光の加減によって、ちょっと白っぽく見えたり、濃く見えたりする。焼き物の場合、それこそ100回焼いたら100回とも微妙に異なる色になる。釉薬のちょっとした濃さの違いや窯に置いた位置による温度の違いでも、色が変化する。この文字盤からは焼き物にも似た色表現の美学を感じます」
美しい藍色が伝統工芸をつなぎ合わせ、新しい価値を生み出したのだ。

大谷焼窯元 大西陶器 代表執行役員社長
大西 直紀さん

藍甕